呉市の大和マンホール蓋 [その他]
#manhotalk へようこそ!
さて、今回は以前ご紹介した呉市の大和マンホール蓋の話題です。
そう、この憧れの大和マンホール蓋を撮影することができました。

呉海軍工廠 竣工時の大和。。。そう、この蓋は一枚一枚みて行くと、大和誕生から、最後の出撃までをマンホール蓋で辿ることができる蓋になっているんです。
こんな感じで設置されています。


昭和16年(1941年)12月竣工 戦艦大和

昭和16年(1941年) 宿毛沖標柱間で全力公試中の戦艦大和

昭和17年(1942年)頃の連合艦隊旗艦 戦艦大和

昭和18年(1943年)頃の戦艦大和と武蔵

こんな感じで美術館通りの坂に設営されています。
参考までに美術館通りについてWikipedia から抜粋
太平洋戦争以前は、呉市市街地と海軍工廠、海軍病院などの旧日本海軍の施設を結ぶ道路であったが、呉市は、1980年(昭和55年)から入船山公園周辺の文化ゾーンの付加価値を高めるため、美術館の建設と美術館前の通りの改築整備に取り組み、芸術性のある散策路に生まれ変わった。このとき、歩道にレンガ調のタイルやブロックを敷き詰め、タウンスクエアから美術館、入船山記念館にかけての約200m区間に、15体の彫刻が並べられた。この通りの愛称を募集したところ、1982年(昭和62年)4月に「美術館通り」に決まった。 Wikipedea 美術館通り (呉市)(2017年1月16日 (月) 20:48)を引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E9%80%9A%E3%82%8A_(%E5%91%89%E5%B8%82)
そう、大和に深く関わっている場所なんですね。

竣工時の大和

捷一号作戦時の大和/フラワーロード(金唐紙)

菊水一号作戦時の大和/草花と昆虫(金唐紙)

呉の歴史を知ることのできる入船山記念館にて、マンホールカードも配布中です。

マンホールカードをもらったら、坂を一番下までくだって、座標の蓋を撮影です。
ここで、蓋撮影をやめてしまうのはもったいないです。そう、美術館通りだけで大和マンホール蓋の物語は終わらないのです。

次に向かったのは、レンガ通りにある街かど市民ギャラリー90
こちらで、2枚目のマンホールカードを入手できます!
あれ?このマンホールカードは、美術館通りにある蓋のカードではないですね。
こちらのカードの蓋は駅からも美術館通りからも、結構離れた長迫公園のそばにあります。あまり観光客がこなそうな場所に設置された蓋なんです。
その場所には2枚の蓋が設置されています。

昭和20年(1945年)頃の戦艦大和

最終出撃時の大和

もちろんマンホールカードと一緒に撮影しました。
それにしてもなぜこんあ場所にあるのでしょう。
わざわざここに配置したのは、意味がありました。こちらには、戦没などによる海軍軍人などの埋葬地として開設された旧海軍墓地(長迫公園)があるのです。大和の乗組員のお墓もこちらにありました。私も正直このような場所があることを知りませんでしたが、よい機会でしたのでご冥福を祈りました。
大和の竣工時から最後の出撃までをマンホール蓋をめぐることによって、学ぶことができる。しかも知らなかった歴史までみえてくる。こんな素晴らしいマンホール蓋企画が日本に広がって欲しいですね。
それではまた#manhotalk であいましょう!
さて、今回は以前ご紹介した呉市の大和マンホール蓋の話題です。
そう、この憧れの大和マンホール蓋を撮影することができました。
呉海軍工廠 竣工時の大和。。。そう、この蓋は一枚一枚みて行くと、大和誕生から、最後の出撃までをマンホール蓋で辿ることができる蓋になっているんです。
こんな感じで設置されています。
昭和16年(1941年)12月竣工 戦艦大和
昭和16年(1941年) 宿毛沖標柱間で全力公試中の戦艦大和
昭和17年(1942年)頃の連合艦隊旗艦 戦艦大和
昭和18年(1943年)頃の戦艦大和と武蔵
こんな感じで美術館通りの坂に設営されています。
参考までに美術館通りについてWikipedia から抜粋
太平洋戦争以前は、呉市市街地と海軍工廠、海軍病院などの旧日本海軍の施設を結ぶ道路であったが、呉市は、1980年(昭和55年)から入船山公園周辺の文化ゾーンの付加価値を高めるため、美術館の建設と美術館前の通りの改築整備に取り組み、芸術性のある散策路に生まれ変わった。このとき、歩道にレンガ調のタイルやブロックを敷き詰め、タウンスクエアから美術館、入船山記念館にかけての約200m区間に、15体の彫刻が並べられた。この通りの愛称を募集したところ、1982年(昭和62年)4月に「美術館通り」に決まった。 Wikipedea 美術館通り (呉市)(2017年1月16日 (月) 20:48)を引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E9%80%9A%E3%82%8A_(%E5%91%89%E5%B8%82)
そう、大和に深く関わっている場所なんですね。
竣工時の大和
捷一号作戦時の大和/フラワーロード(金唐紙)
菊水一号作戦時の大和/草花と昆虫(金唐紙)
呉の歴史を知ることのできる入船山記念館にて、マンホールカードも配布中です。
マンホールカードをもらったら、坂を一番下までくだって、座標の蓋を撮影です。
ここで、蓋撮影をやめてしまうのはもったいないです。そう、美術館通りだけで大和マンホール蓋の物語は終わらないのです。
次に向かったのは、レンガ通りにある街かど市民ギャラリー90
こちらで、2枚目のマンホールカードを入手できます!
あれ?このマンホールカードは、美術館通りにある蓋のカードではないですね。
こちらのカードの蓋は駅からも美術館通りからも、結構離れた長迫公園のそばにあります。あまり観光客がこなそうな場所に設置された蓋なんです。
その場所には2枚の蓋が設置されています。
昭和20年(1945年)頃の戦艦大和
最終出撃時の大和
もちろんマンホールカードと一緒に撮影しました。
それにしてもなぜこんあ場所にあるのでしょう。
わざわざここに配置したのは、意味がありました。こちらには、戦没などによる海軍軍人などの埋葬地として開設された旧海軍墓地(長迫公園)があるのです。大和の乗組員のお墓もこちらにありました。私も正直このような場所があることを知りませんでしたが、よい機会でしたのでご冥福を祈りました。
大和の竣工時から最後の出撃までをマンホール蓋をめぐることによって、学ぶことができる。しかも知らなかった歴史までみえてくる。こんな素晴らしいマンホール蓋企画が日本に広がって欲しいですね。
それではまた#manhotalk であいましょう!
2017-10-15 20:06
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